今日まで続く帝政ロシアの5工場
チョコ、船、火薬を生産
ロシア帝国を工業的な先進国だったと言うことはできない。1913年に都市部に暮らしていたのは国民のわずか13%で、工業化経済へとようやく移行できたのはソ連時代である。一部の歴史学者のデータによれば、1934年までに9000の新工場が創業していた。とはいえ、帝政時代に優れた工場がなかったという意味ではない。一部は2月革命と10月革命、二度の世界大戦、国有化と民営化をのりこえ、今日も順調にチョコレート、機械、船舶、靴、弾薬をつくり続けている。
2. 「キーロフ工場」
キーロフ工場、サンクトペテルブルク=Lori/Legion-Media
このサンクトペテルブルクの工場は1801年に誕生したが、有名になったのは19世紀の終わりから20世紀の初めにかけてである。1868年に工場を購入したN.I.プチロフから、プチロフスキー工場という名称になっていた。生産していたのは、蒸気機関車、貨車、工作機械、砲弾、船舶用大砲など。つまり、ロシア帝国の大型製鉄・機械建造センターになっていた。労働者が政治的に積極的であることでも知られていた。労働者が1905年に起こしたストライキは、1905年1月22日の血の日曜日事件へと発展。ロシア第一革命の発端となった。1917年にはこの工場の多くの労働者がボリシェヴィキの赤衛軍に入った。
ソ連時代になると、ソ連の政治家セルゲイ・キーロフにちなんでキーロフ工場と改名された。工場は1941~1944年のナチスドイツによるレニングラード包囲戦の最中でも稼働を続けていた。労働者の2500人が餓死したが、キーロフ工場は戦車を生産、修理し続けた。その中には有名な重戦車KVもあった。今日、この工場では農機の組み立てが行われている。
4. 「リハチョフ記念工場(ZIL)」
「リハチョフ記念工場(ZIL)」=ヴァレンチン・ソボレフ/タス通信
モスクワの会社。ロシア革命までは「モスクワ自動車会社(AMO)」、スターリン時代は「スターリン記念工場(ZIS)」と名称が変わっている。工場の建設が始まったのは1916年だが、ロシア革命までに完工しなかった。ここでは数年間、外国車がライセンス組み立てされていた。初の独自のトラックの生産が始まったのは1924年。生産規模は急速に拡大し、第二次世界大戦では、ソ連軍に供給されたトラックの数で第二位であった。ZISは高級リムジンも生産していた。
ソ連崩壊後、ZILはその地位を失い、2016年までには活動をほぼ停止している。ZILの敷地に、オフィスやマンションを建設する計画もある。だが第6工場はまだ稼働しており、注文に応じてクラシックなZILリムジンを生産している。

